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映画『君の膵臓をたべたい』感想(ネタバレあり) [映画]

映画『君の膵臓をたべたい』を見てきました。
Yahoo!映画を見るに、評判は上々のようで、楽しめた方も多いのではないでしょうか。
しかし、原作を一度読んでいると、「んん?」となってしまう部分がありました。
結果として、私は十分に楽しむことができませんでした。
一番感動的であろう、桜良から主人公に対する遺書の部分は、もうなんだかどうでもよくなって頭にちゃんと入ってこない始末。
原作に触れずに映画だけ見た人にとっては、(若干気になる部分はありつつ)感動的な作品。
ただ、原作を読んでしまうと、何故このようにいじってしまったのかと感じる作品。これが私の感想です。
ということで、本日は私の気になったところをつらつらと書いていきます。注意ですが、
ネタバレ満載です。
原作未読、映画見視聴の方はご注意ください。また、原作と比較してネガティブな感想が多い記事になりますことを御了承ください。
それでは、以下追記にてよろしくお願いします。

まず、映画で感じた違和感を述べる上で、まず私の原作に対する感想を書いておこうと思います。
確かに、よくある難病もののお涙頂戴物、といわれると否定できない。ただ、結末までの展開はよく考えられていて、構成やギミックは完璧な作品。
こんなところです。さて、その作品を映画化するに当たって、監督は
「原作をそのまま映画にはできない」(パンフレットより)
と考え、映画のオリジナル要素を入れてきました。
そのオリジナル要素とは、
・現在の時間軸は、桜良が死んでから12年後。主人公は高校の先生になっている。
・主人公は現在、自分の母校に務めている。
・主人公は、原作では「共病文庫」に書かれていた、桜良の遺書を読んでいない。(映画では、「共病文庫」に遺書の草稿が書かれていないため)
・そのため、桜良の友だちであった恭子とは友だちになっていない。
・恭子と彼(原作では恭子が好きな友だち)が結婚することになり、主人公に結婚式の招待状を送っている。
・主人公と桜良の思い出の図書室が老朽化のため立て替え?られることになる。
・主人公が、図書室の整理をしている生徒に、彼女との思い出を語る形で、原作部分の高校時代が回顧録の形で描かれる。
というところでしょうか。パッと思い浮かんだのがこれくらいで、他にもあるかもしれません。
さて、時間軸を12年後において、回顧録で原作部分を語るという設定は、ちょっと気になるところですが(本来読者の権利である、その後の展開を楽しむことを、映像化することで規定されてしまったような気がする)、よしとします。その上で、私の気になった点を挙げると
1 桜良が死ぬ展開の意味がなくなっている。
2 桜良の遺書の残され方に疑問。
3 主人公と周りの人間との関係に疑問。
という三つです。
1つ目の桜良が死ぬ展開についてです。
これが、この映画の一番よくないところではないでしょうか。映画も原作と同じで、退院の日、主人公に会うための道で通り魔に刺されて死んでしまいます。
この展開、原作では桜良の本心からの遺書を残すための展開であり、この場面を読んだ時は「何故?」となりますが、遺書のシーンを読むと納得できるものでした。
むしろ、この展開にするために、最初の方に「通り魔」というキーワードを出していることに関心させられました(しばらく通り魔は出てこないため、「何故、あのキーワードを出す必要があったのか」と読んでいて疑問に思っていました)。
ところが、映画ではその桜良の想いが書かれた遺書は、
「現在の【僕】に何かアクションを起こさせたくて」(パンフレットより)
という理由で、遺書は別の場所に隠されることになりました。
こうなることで、映画では桜良が刺されて死ぬ意味は「彼女に残された一年という時間に甘えていた」という、主人公の後悔を生む以上の効果がなくなっています。
結果として、映画では桜良が通り魔に刺されて死ぬ必然性が消失してしまっています。
映画を見る前に、Yahoo!映画で☆一つの評価にそのことが触れられており、原作既読、映画見視聴の私は「?」となったのですが、映画を見て納得してしまいました。
監督が出したオリジナルの展開によって、原作の完璧な展開が崩される、というのは納得できないものです。
そのオリジナル展開に必然性があればまた話が別なのでしょうが、そのオリジナル展開自体、原作の展開を改編するだけの説得力があるシーンには全くなっていません。
そもそも、原作を一度しか読んでない私ですら、この展開の意味が理解できたのですから、監督がそれを理解できないとは到底思えません。
はっきりいって、この点だけ取っても監督は原作の内容の理解が足りていないと言わざるを得ません。
2つ目についてですが、これは1つ目にも関連します。
上でも述べましたが、桜良が通り魔に刺されて死ぬことによって、原作では本来は清書をして残そうとしていた遺書が、自分の素直な気持ちを書き綴った草稿という形で残されることになります。
それは、彼女の取り繕おうとしない思いです。
「うん、今伝えたいことを書くね。それが、本当の気持ちだと思う」(原作より)
原作ではこのように書かれていますが、まさにそこに描かれるのは彼女の本当の気持ちです。だからこそ、その遺書が胸に響き、感動的になるのです。
もしもこの遺書が清書されたらどうなるだろうか。そう考えたとき、桜良はその気持ちを隠してしまうのではないか、という気がします。
彼女の本心を残すために、彼女は思いがけない理由でなくなる必要があったわけで、1つ目に繋がっていくわけです。
さて、それでは映画ではどうなっているか、というと、原作で描かれていた恭子への遺書と主人公への遺書が、生前に書かれ、とある場所に隠されていて、死後12年して主人公がそれを見つける、という展開になっています。もしかしたら見つからない場所(桜良はきっと見つけてくれると確信していたでしょうが)に残された遺書、ということで、そこに描かれた想いの重さを表現しているのかもしれませんが、意味のもたせ方としてはあまりうまくないな、という印象です。
3つ目です。
原作では、彼女の遺書を読んで、彼女のようになりたいと考えて、主人公が人と関わろうと変わっていきます。
ところが、映画では主人公は遺書を読んでいないため、そうは思っていません。実際問題、映画の主人公は、彼女のことばのまま高校の教師になったものの、そのことに悩み、仕事を辞めようかと悩んでいる、という人間になっています。
そのような人間が、どうやって恭子の旦那となる彼と、結婚式の招待状が届くほどの関係を築いただろう、と疑問です。
そもそも、原作では主人公が口を滑らせたことで、恭子と彼がくっつきそうな展開になっていますが、映画の設定だと、どうやって二人が接近したのか、と考えてしまいます。
きっとうまくやったんだろう、と納得できないわけでもないですが、そこもちょっと疑問です。
このようなことが積み重なって、ちょっと涙ぐみながら映画を見つつ、深く入り込めない、ということになってしまいました。
ラストに関しても、原作で描かれていた主人公が彼女に隠していた秘密は、映画では描かれませんでした。
確かに、桜良の死から12年、ということを考えると、入れる場面がなかったのですが。
あの告白があるから生まれていたラストの盛り上がりがなくなってしまったのは残念です。
今回書いた事については、原作を読んでいたがゆえに気になってしまったことです。
しかし、オリジナル展開にするなら、原作を読んでいる人間にも納得できる展開にしてほしかったです。
原作未読でこの映画を見た人には、是非とも原作に触れてほしいな、という映画でした。
君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

  • 作者: 住野 よる
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 2017/04/27
  • メディア: 文庫


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